窯出し

また、藁灰釉に戻った
藁白狙いだったのだが、また青くなってしまった





この土は収縮率が大きくしょっちゅうこういうことになる

これからは食器を焼いてゆく
茶碗はしばらくお休みだ




九州の畏兄がある茶人のことば「茶碗はただお茶が飲めればいいのですよ」をおそろしいことばだと言っていた
その通りだ
何故だろう
お茶を飲むには茶碗は消えていなければならないからだ
昔尋ねたある陶芸家は「梅花皮の出し方で私を超えるものはない」と言い切っていた
私は彼の茶碗でお茶を飲みたいとは思わなかった
茶碗が前に出すぎていてお茶が消えてしまうのだ

ふと、これも昔書いた『尺には尺を』論を思い出した
アンジェロのキリスト愛は見てくれだけで実は欲情を奥に隠している
公爵はその実態を露わにすべく身を隠す
くわしくは書かないが、公爵は身を隠すことで現実世界を超えた愛の王国を生み出した
論文ではちょっと洒落て、それを《身隠り(みごもり)=身籠りのパラドックス》と呼んだ

茶碗も同じだ
ただ、むずかしいのは茶碗はただ消えればよいというわけではない
お茶の世界を支えるだけの力量が要求されるのだ
それを畏兄は「おそろしい」と言ったのだ

今大スランプにいる
茶碗のすがたが見えてこないのだ
陶芸をはじめて約十年
ちょうどそういう時期なのだろう



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