今日のシェイクスピアは『オセロー』


痛ましい劇だ。ひとを信じ、ひとを愛したことのあるものなら、誰でも、胸が痛む思いのする劇だ。批評家はオセローの人格的不統一を言う。確かに、自分に対して敵意を持つイアーゴを、誠実な人間と思いこみ、最後の最後まで信じこむさまは、あまりに愚かだ。とても、国家を担う大将軍の高貴な人格とは相容れない。しかし、ロドヴィーコが、妻をなぐるオセローを見て、自分の目を疑い、「これが議員が声をそろえて誉めたたえた、あのムーア人か?」と自問することばに、私たち観客もうなずかずにはいられないのは、その不統一が舞台の上で、みごとにひとりの人間として成功しているからではないのか。
『トロイラスとクレシダ』では、戦争と恋愛の溝が埋まらないまま劇は終わった。『オセロー』では、両者は互いに作用し合い、この作品独特の、剥き出しになった内面世界特有の空気をかもし出している。これを可能にしたのが、論功行賞の世界にも、恋の世界にも、等しく働く嫉妬の力だ。イアーゴはキャシオに嫉妬し、別な意味で、オセローもキャシオに嫉妬する。こうして、問題劇で扱いかねていた主題が、悲劇へと昇華する土台を得た。
嫉妬の芽を育てる肥料の役割を果たしているのが、端々に見られるcover(かぶさる), board(乗り込む), lie(寝る), taste(味わう), satisfy(満足する), die(死ぬ=オルガスムを得る)などの性的な表現だ。これらのことばが、身体的イメージを伴って、ボディ・ブローのようにゆっくりと、しかし、着実に効いてくる。
デスデモーナの愛を得たのは、オセローの語りの魔術だった。しかし、皮肉なことに、オセローが嫉妬の炎に焼かれるのも、イアーゴの語りの魔術による。『ジュリアス・シーザー』でブルータスとアントニーが見せた一度きりの語りの魔術を、イアーゴは執拗にくり返す。しかも、イアーゴは自分の策略を、すべて、善意から出たものとして、演じ切る。だまされる者が間抜けともいえるが、これだけ完璧に、しかも、執拗に、善意を装われると、そこに悪意を見出すことは不可能だろう。この魔術が紡ぎ出した嫉妬の万華鏡は、『ハムレット』が内面の発見であったのと同じ意味で、内面世界の外面化だ。だから、サイプラス島に着いてからたった二日しか経っていないのに、キャシオはデスデモーナと「千回も密通する」という、有名な「二重の時間」も起こりうるといえる。
イアーゴの創造がこの作品の最大の成果だ。シェイクスピアは、グロスター(『リチャード三世』)、シャイロック(『ヴェニスの商人』)、ドン・ジョン(『空騒ぎ』)とつづく悪役の系譜をイアーゴで完成させる。このあと、『リア王』のエドマンドが、さらにこの系譜を引き継ぐことになる。

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最近スズメの餌台にヒヨが来るようになった
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餌台を占拠するヒヨ 勇敢なスズメは同席してついばんでいる




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