今日のシェイクスピアは『ロミオとジュリエット』

恋愛劇といったら『ロミオとジュリエット』というくらい有名だが、人気の秘密はなんだろう?好きになってはいけないひとを好きになってしまった悲劇、という禁断の恋の魔術が作用していることは確かだが、筋立ては意外にも単純だし、よくある話だ。敵対する家の子供同士が恋に落ち、運命のいたずらでともに死を選ぶ。しかし、それだけではこれほどまで人気はあがらなかったろう。筋よりも強力な人気の秘密がある。それはシェイクスピアが磨き上げた詩であり、ことばの音楽である。
この台詞がなかったら果たして『ロミオとジュリエット』は生き残れたろうか、と思われる名台詞が数限りなくある。
ふたりが初めて出会う仮面舞踏会の場面で、ふたりが交わすソネットがなかったらどうだろう。あるいは、庭園の場面でジュリエットがひとりつぶやく「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」の台詞がなかったらどうだろう。また、追放が決まりジュリエットとの別れの場面でひばりの歌声を聞きながら交わすオーバード(後朝の歌)がなかったらどうだろう。キャピュレット家の霊廟に横たわるジュリエットを見てロミオが叫ぶ「どうしてまだそんなに美しいのか?」の台詞がなかったらどうだろう。
ロミオとジュリエット』は筋ではなく、詩の魅力で大作に仕上げられた劇だ。しかもどの詩にも甘く美しいメロディが流れている。ふたりが交わす会話は恋人たちの会話の神話的原型になっているといえる。
さらに、マキューシオや乳母のような愛すべき人物を創造したこともこの作品の魅力と大きく関わっている。実はこのふたりはシェイクスピア全作品中でもっとも卑猥なことばを発する要注意人物なのだ。しかし、このふたりのお陰で『ロミオとジュリエット』は単なる純愛ドラマに落ちず、奥行きのある作品になった。



この劇は何度か映画化されているが、フランコ・ゼフィレリ監督の『ロミオとジュリエット』が最良だろう。ディカプリオの映画はマンガ版『ロミオとジュリエット』と思って見ている分には害はない。だが、所詮マンガはマンガだ。それよりむしろ『恋に落ちたシェイクスピア』の方が舞台の雰囲気を伝えてくれる。もちろんこの映画のようにシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を書いたわけではないが、少なくとも当時『ロミオとジュリエット』がどんな風に舞台で演じられたのか知る手がかりは与えてくれる。口上役がどもってしまって台詞がなかなか出てこず楽屋の役者がはらはらする場面は劇の緊張感を如実に伝えてくれる。
シェイクスピアをすみずみまで知り尽くした作家が脚本を書いているので、マキューシオの死に際の叫び
A plague o' both your houses!
(おまえらの家なんか両方ともくたばっちまえ!)

A plague o' both their houses!
(あいつらの小屋に厄いあれ!)
と変えて演劇反対論者の叫びに使うなど心憎い芸が見られる。ちなみに当時は劇場を意味することばはtheatreよりplayhouseの方が一般的だったので、このhousesとは劇場を指している。



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さっきコジュケイが裏の森で鳴いた



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