今日のシェイクスピアは『ヘンリー四世第一部』
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第2四部作(『リチャード二世』、『ヘンリー四世第一部』、『ヘンリー四世第二部』、『ヘンリー五世』)の第2作目に当たる。
それまでに書いた『ヘンリー六世』三部作、『ジョン王』『リチャード二世』の5編の歴史劇とは決定的に違っているのはフォルスタッフのような史実とは無縁な登場人物を加えることにより、謀反や国政といった高い立場での問題と、居酒屋、冗談、追いはぎといった低俗な次元の問題がハル王子を中心に切れ目なく混ざり合い、奥行きのある世界が舞台上に出現している点だ。ただ、ハル王子の放蕩息子から理想的君主への変身を描いたこの劇を大きなスケールで味わうにはまずイギリスの歴史をおさらいする必要があるだろう。
しかし、舞台でも、書斎でも、圧倒的な関心は、太ったほら吹き男フォルスタッフと、王位後継者であることを忘れて一日中遊び回っているハル王子の陽気なコンビにある。フォルスタッフはラブレーが描くルネサンスの巨人ガルガンチュアの劇場版であり、その並はずれた悪人ぶりは人気の的だ。彼らの羽目外しに劇の運動そのものを見て取れれば『ヘンリー四世第一部』の核心は捉えたといえる。特にハルとフォルスタッフがヘンリーに会うための予行演習をする場面(2幕4場)は女将たちを観客にした楽しい劇中劇になっている。
PRINCE. If all the year were playing holidays,
To sport would be as tedious as to work.
(もし一年中がお祭り日だったら、遊びも仕事と同じに退屈なものになる。)
ハル王子の独白の一部。みんな立派な君主を待ち望んでいるが、俺のような放蕩三昧の王子が豹変すれば、世間の驚きや喜びもいっそう大きくなろう、お祭りはたまにやって来るからありがたみが増す、君主も同様だ、という内容だ。しかし、この独白を非難する批評家は多い。たしかに自分を人々から待ち望まれている君主とするあたり、少しうぬぼれすぎの気配がある。
変な比較になるが、私はハル王子を見るとつい遠山の金さんを思い出してしまう。金さんとハルは、市井の庶民と酒を酌みかわし、語り合い、最後の公の場では為政者として身を現わすという点で共通するものを持っている。そもそもそういう逸話を持っていること自体、庶民の人気の証なのだ。
長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことば⇒ジャンル別シェイクスピアの名台詞集
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