今日のシェイクスピアは『十二夜』


オーシーノがふともらす「甘い切なさ」(sweet pangs)こそがこの劇の味わいだ。シェイクスピア喜劇、いや、世界喜劇の最高傑作である『十二夜』にとって、何よりの収穫は、劇場の枠組みを最大限に利用して、浮世ばなれした恋の国イリリアをのびやかに立ち上げたことだ。この国では、歌も、酒も、恋も、悪戯も、ナルシシズムも、変装も、そして、ときには同性愛まがいの恋慕も、すべてが、なつかしい感覚のなかで許される。
ヴァイオラがセザーリオという「哀れな怪物」(poor monster)になることにより、オーシーノ、オリヴィア、セザーリオ(ヴァイオラ)の完璧な恋の三角関係が生まれ、その完璧さは、同時に、恋の成就が完璧に不可能であるという、悲しく心地よいジレンマを作り出した。シェイクスピアはこのジレンマを巧みに生かし、いくつもの名場面を創造した。2幕4場でヴァイオラが、女性の恋人がいるかのように、また、妹がいるかのようにして語る愛の告白は、天上の音楽のように美しく響く。また、ヴァイオラを男と信じて愛を捧げるオリヴィアの口説きの台詞には、禁断の果実の熟れた匂いがする。
一方、マルヴォリオは、こうした浮世ばなれの世界に、結婚を利用した階級上昇の野心を持ち込み、恋を権力獲得の手段にしようとしていた。そのために、トービーたちからというより、恋の国イリリアそのものから、きついお仕置きを受け、暗い牢獄に隔離されたといえる。同性愛への傾きも、この国に、一種のあやうさをもたらす。オーシーノが男装のヴァイオラを可愛がる気持は、アントーニオのセバスチャンへの愛着に通じる。こうした同性愛的くすぐりは、奇しくも同名の『ヴェニスの商人』のアントーニオを思い出させるし、『ソネット集』で「美青年」への情念を燃やす「私」をも思い起こさせ、シェイクスピアのあやしい趣味の一端をのぞかせている。
こうした多少のはみだしはあるものの、『十二夜』の世界は、なんだか穏やかな花曇りの日がいつまでもつづくような、そんな錯覚を抱かせるなつかしさにあふれている。


DUKE. Come hither, boy. If ever thou shalt love,
In the sweet pangs of it remember me.
(さ、こっちへ来い。もし、おまえが恋をするようなことがあったら、甘い切なさのなかで、俺を思い出してくれ。)
公爵は、片恋の辛さのやり場がなく、セザーリオを相手に恋を語る。この劇の中心主題が、音楽を背景に語り出される。


十二夜』といわれても私たち日本人にはぴんとこない。十二夜とは、クリスマスから12日目(1月6日)に東方の博士がベツレヘムを訪ねた故事から、それを祝う祭日だ。エリザベス朝では、前夜からはなやかな行事がおこなわれ、人びとはお祭り気分に酔ったという。『十二夜』にゆきわたるのびやかな気分は、こうした祝祭性を反映している。



長くなるのでつづきは⇒シェイクスピア全作品解説
覚えておきたいシェイクスピアのことば⇒ジャンル別シェイクスピアの名台詞集


今日の窯出し
2種類の藁灰釉
違うのは土灰だけ
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