こんな時どうする

今は作りたいものがイメージできない。
これまで、あれやこれやとやって来たが、こころの底にずんと来るほどのものはまだ作れていない。
作れていないくせに、作る方向へ足が向かわないのはどういうことだろう?
困ったものだ。
充電期間といえば聞こえはいいが・・・・・・
とにかくどんよりと停滞している。
ま、こんな愚痴を言ってもしょうがないのだが。

ただ、約10年やって来て見え始めたものがあるのは確かだ。
問題はその見え方だ。
というのもそれが否定的な見え方だからだ。
否定はなにも生み出さない。
リア王が言う通り、「無は無しか生み出さない、のだ。」

先輩にはやきものにはストーリーが必要だ、と言われたことがあるが、私の器にはこれといって語るべき物語はない。
芝居は何本も書いてきたが、やきものに芝居を持ち込むなんて思いも寄らない。

う~ん、困った。

しかし、うつわはもともと「うつろ」なものではないだろうか?

作り手は「うつろ」でいいのではないか?

その「うつろ」があるからこそ、使い手がそこに物語を埋めたり、愛着を感じたりするのではないだろうか。

この辺まではこの十年でたどり着いてきた。だが、その先はまだ見えない。

しばらく姿を見せなかったヒヨドリがまた餌台のりんごや米粒を食べにやって来た。
食べながら餌を餌台の外へ撒き散らしている。