「本当と嘘とテキーラ」を観て

録画してあった山田太一の最新作を観た。やっぱり骨が見えてしまっている。前作もそうだった。山田氏は「真夜中の匂い」や「夢が見たくて」ではもっと肉を見せていた。もちろん骨太な骨格は守りつつ。本当と嘘を越える領域を舞台という超越の場所に求め、それを現実のただ中に据えようとTVドラマの枠一杯に頑張っていた。

そこでは、本当と嘘が対立しつつ、かつ、互いを自分の存在証明にするダイナミックな弁証法が見られた。

以前の山田なら「本当のことを話した君は偉い」などとは書かなかったろう。こう書いた瞬間に《本当》はもう決して《嘘》の世界へ越境することの不可能な対岸になってしまうのだ。

エイベルの用語を使えば、metatheaterが消えたのである。