2006-01-01から1年間の記事一覧

引っ越し

しばらく使ってみての結論。日記は楽天に引っ越すことにしました。こちらを閉鎖することはありませんが、新しい記事は楽天に書きますのでブックマーク、よろしくお願いします。楽天の方は生活メモのような感じの書き方なので我ながらまとまりのない文書と思…

移り気

最近、他のブログがなんとなく気になり出し、exciteと楽天(やってみたら楽天はすでに登録済だった)を、あれこれ試してみた。exciteは瀬戸の陶芸仲間がたくさん登録しているので気になったというのが実情なのだ。やってみると画像の使い勝手がとてもよい。…

いよいよだ

瀬戸の知合いから、訓練校(正式名:愛知県立窯業高等技術専門校)の入校試験の要項ができたとの情報が入る。さっそく訓練校に電話を掛け、要項の取寄せ方を教わる。角2号の封筒に140円切手を貼ったものを同封して送る。受験生そのものだ。まあ、受験生には…

デッサン修業

先日、載せたポートレートのダメ出しが出た。ポイントは影だ。いつも影だ。影を支配するものがデッサンを支配する。分っていながら影を塗り込められない。もっと色を乗せて、と言われつづけている。考えてみると洋画には塗ってない部分はない。あれば未完成…

こんなことになろうとは

昨日一昨日と瀬戸の赤津の里窯めぐりに行ってきた。ついでに美濃の陶磁器資料館や荒川豊蔵資料館なども見てきた。とくに豊蔵の作品には深い感銘を受けた。たった数片の陶片を美濃の窯跡で見つけたことが陶磁器の歴史を塗り替える大発見につながったことも驚…

今日の発見

朝、散歩をした。いつものコースから大幅に逸脱して1時間以上歩いた。玉村には到るところにいろいろな家の先祖の墓がある。もっとも目立つのは(たぶん)スーパーとりせんの駐車場内にある墓地だろう。私はこういう光景が大好きだ。住んでいる家の近くに先祖…

手すさび

デッサンの練習に写真を見ながら描いてみた。さあ、誰だか分るかな?

やってしまった

これが何だか分るだろうか?もちろん熔岩ではない。こうなる予定の器だった。ところが粘土が火に弱いものだったらしく、結果は無惨にもつぶれてしまった。同じ土、同じ釉薬でも焼く場所(窯の番地)で表情はまったく違う。今回は試験用のぐい呑みを大量に作…

行ってきました楽茶碗展

なかなか実物にお目にかかる機会のない長次郎の楽茶碗を見てきた。いくつかの写真集で見たより実物の茶碗の光沢は控え目な感じだった。楽代々の作も展示されていたが、やはり長次郎が雑念を感じさせない味があり、圧倒的にすぐれていた。15世の作などは見る…

生兵法は大怪我の元

化粧土を掛けるために一週間乾燥させて、師匠のところへ持参したら、化粧するには生乾きの方が安全と言われてしまった。好い加減な情報を鵜呑みにしたのがいけなかった。調べてみると、化粧土の調合で生乾き用、完全乾燥用、素焼き用と分れるようだ。ひやひ…

乾燥中

今回は小花活第二弾を作り、いまは乾燥中だ。その他、蕎麦猪口、小皿をロクロ練習を兼ねて作った。蕎麦猪口と小花活の土は唐津に観音山の土を3%混ぜたものと、伊賀土に観音土を7%混ぜたもので、観音土の鉄分でそばかすを狙った。小皿は、鶴屋南北の舞台のよ…

田舎もの、あるいは、貧乏性?

今日、ある集まりでフランス料理を御馳走になった。御馳走になったものをとやこう言うのは礼儀に反するのだが、料理人が技術の粋を尽して調理したコースは美味しくはあったが満ち足りはしなかった。私は食事に関しては、食べることの幸せ感の多寡で価値を判…

おや?

散歩の途中で発見。とうもろこしかと思いきや、さとうきびだった。ちょっと南国気分だ。

極小花活

これは釉薬の試験用に作った極小花活だ。高さ約5cm。実物は写真より小さい。釉は狙った発色に失敗したが、花を活けると、失敗だと思っていた花活が見事に映えた。信楽の老陶芸家、忠六氏の名言、花あっての器や、器あっての花や、を思い出した。

いじめ問題、何か変だぞ

いじめが自殺を招来したことで世論が湧いている。いじめはいけない、いじめのない学校にしよう、いじめを助長した先生は懲戒免職だ……。そうやってがんじがらめにすれば、学校内のいじめはなくなるだろう。だが、それでいいのだろうか?その生徒が社会に出る…

味覚とは奇妙なもの

唐九郎の説では、酒は飲みにくいぐい呑みで飲む方がうまいという。お茶もそうらしい。そこで実験してみた。味覚は主観的なものだから、えてしてこういう既知情報に左右されやすい。だからあまり確かなことではない。だが、味覚とは主観が主観として味わうも…

あ〜あ

昨日も書いたように、ためこんだ素焼きの器を見ているうちに(何を考えたか、あるいは、魔が差したのか)ほとんど全部を絵唐津風の絵付けをして透明釉を掛けてしまった。どうしてだろう。師匠の工房にいるとどういうわけか正常な判断がときとしてできなくな…

釉の憂慮

まったく困ったことだ。茶碗を作り、素焼きも終ったのに釉が決まらないので本焼きに入れない。一度狙った釉で試し焼きしたのだが、気に入らない。せっかくの半筒茶碗なのできちんとこの世へ産み出してやりたい。そこで延々と悩む。ああでもない、こうでもな…

鉛筆の線の向う岸

すでに書いたように、デッサン(厳密にはクロッキー)を週に一度習っているのだが、美術の世界は本当にすごいと思い知らされることしきりである。自分ではもうこれ以上手を加えることはない、と信じて師匠のもとに向うのだが、いつもメタメタにやられてしま…

荒土の恩恵

最近、松江の粘土屋さんから唐津の荒土を買った。いわゆる「ばさい」土でそのままでは菊練りもできない。当然、ロクロを挽こうとしてもばりばりヒビが入る。こりゃ困った。もしかして粘土屋は質の悪いにせ物を送ってきたか?人間が小さいのですぐにひとを疑…

日本の原風景

稔りの秋だ。何度見てもこの光景はいい。黄金色の田、まだ緑が混じった田、さまざまだ。 また、稔った穂が整然と並ぶ田もあれば、無惨に倒れている田もある。たまたま近くで稲刈りをしていたひとに聞くと、黄色いのは早稲で、他のより10日ばかり収穫が早いと…

土の固さ

ロクロを挽く。水を粘土に染み込ませて成形するのだから、粘土は、触れてみると分るように、ぐにゃぐにゃだ。ちょっと力の加減を間違えると器ははげしく変形して《オブジェ》と呼ぶしかないシロモノになる。にもかかわらず、ロクロで水挽きしているといつの…

朝三暮四

何を隠そう私は便秘だ。いろいろ効きそうなものを試してはいるが、効果がなかったり、あっても長続きしにくいものだったりで困っていた。「いた」と書くのは、今は困っていないからだ。健康オタクの弟がいいものを教えてくれた。今までもあれこれ紹介してく…

悲しい闘志

加藤唐九郎の作品を何冊かの本で見る。志野もすごい、唐津もすごい、黄瀬戸も、瀬戸黒もすごい、なにもかもすごい。出るのはただため息のみだ。ある本の頁をめくるとそこには唐九郎のぐい呑みが並んでいた。何かになぐられたような感覚がからだを走った。絶…

面と線と

T先生にデッサンを習っているのだが、これがなかなかむずかしい。美術をやっているひとにとっては当り前なことが初心の私には仰天するほど新しい。拳を描く。私は人差し指と中指の間の線から始めていた。T先生からダメ出しを受けた。手に白布を被せ、そうし…

薄いのがいいのか、厚いのがいいのか?

ロクロで薄く挽けるようになると限界まで薄く出来る。それが楽しくてつい薄く作る。以前の器を見るとぼってりしている(と感じる)。だが、薄ければいいというものでもないらしい。薄くできて喜んでいたが、唐九郎の器を美術館で見て、驚愕した。えっ、あん…

930近づく

劇団員が何度も手伝ってくれたお陰で研究室の整理は完了まぢかとなった。これで来る9月30日には無事引き渡しができる(と思いたい)。仕事の方も昨日の公開講座(シェイクスピアを演じてみよう〜台本から舞台へ)で最後の声出しを終えた。公開講座にはゼミ生…

長い付き合い

また腰痛がやって来た。仕方なく這うように歩いている。思えばこいつとも随分長い付き合いだ。だが、付き合いが長いからと言って気心が知れているかというとそうでもない。いつやって来るか、今回のように予測できることもあれば、不意の訪問にたじろぐこと…

最後の公開講座

来週月曜、最後のお勤めのひとつ、公開講座「ことばを交わす」が迫ってきた。台本は出来た。前期末、あまり最後の授業という実感がなかったが、今回どうだろう。今のところ、やはり最後という実感はない。きっとこういうものはやろうとしても出来なくなった…

やれやれ

土、日、月と三日かかってようやく研究室の整理が一段落ついた。それにしても持つべきものは友である。困った時にこそ真の友が見えてくる。まさにA friend in need is a friend indeedだ。修士論文や卒業論文の執筆を中断して手伝ってくれたゼミ生、ハードな…