いじめ問題、何か変だぞ

いじめが自殺を招来したことで世論が湧いている。いじめはいけない、いじめのない学校にしよう、いじめを助長した先生は懲戒免職だ……。

そうやってがんじがらめにすれば、学校内のいじめはなくなるだろう。だが、それでいいのだろうか?その生徒が社会に出る。社会はいじめの巣窟だ。個人へのいじめ、会社という組織単位へのいじめ、さらには、国へのいじめ。普通それを「いじめ」とは言わないが似たようなものが多々ある。

大切なのは、たくましさではないだろうか。文科省では「子どもを守り育てる体制づくり推進本部」を設置したそうだ。それはそれでいいことかもしれないが、それよりも前になすべきことがありはしまいか。この国の首相は美しい国を作ろうと提言している。美しい国とはまず何よりもたくましい国であり、ひ弱な国ではないはずだ。

新聞の論調をみると「いじめが悪い」という方向で統一されている。ひねくれた見方かも知れないが、いじめは決してなくならない。管理すればするほど、表面には現れない陰湿ないじめへと「進化」して行くだけだ。だから、考え方を変えるべきなのだ……いじめは、悪い、だから、いじめをやめよう、ではなく、いじめは人間の本質だ、だから、いじめられても、それをいじめと思わず、笑い返す人間を作ろう、と。

でも、たぶん、この国ではそういう考え方は少数派だろう。国自体が、いじめられたら強い国にまもってもらおう、という精神を基盤にしているのだから、況や国民においてをや、である。