味覚とは奇妙なもの

唐九郎の説では、酒は飲みにくいぐい呑みで飲む方がうまいという。お茶もそうらしい。そこで実験してみた。味覚は主観的なものだから、えてしてこういう既知情報に左右されやすい。だからあまり確かなことではない。だが、味覚とは主観が主観として味わうものだからこそ、こういうあやふやな主観の印象が重要だとも言える。土台この種の官能試験は機械的な計測が届きにくい分野だ。官能のものは官能へ、である。

用意したのは

①飲み口が薄く、傾けるとすっとお茶が口に流れ込む、所謂飲み心地のよい茶碗

②飲み口が厚ぼったい上、凹凸(よく言うと山道)があるので、ヘタをするとこぼす可能性さえある茶碗

の二種類だ。この二つで抹茶を立てる。お湯の温度で差が出るかも知れないので、順番を入替えて二度試験してみた。

驚いたことにやはり飲みにくい茶碗のお茶の方がうまいのだ。飲むときの緊張感が美味さを生むのか、飲む際に多少すする必要があるのでどうしても空気といっしょに飲むことになるために美味しいのか……。その辺は疑問のままにしておこう。みなさんも是非試してみてください。抹茶である必要はないでしょう。煎茶で十分です。ただ、問題は飲みにくい茶碗を持っているかどうかだ。私の場合、未熟な技術の助け?で、飲みにくい茶碗がたくさんある。これは喜んでいいのだろうか?