2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

極小花活

これは釉薬の試験用に作った極小花活だ。高さ約5cm。実物は写真より小さい。釉は狙った発色に失敗したが、花を活けると、失敗だと思っていた花活が見事に映えた。信楽の老陶芸家、忠六氏の名言、花あっての器や、器あっての花や、を思い出した。

いじめ問題、何か変だぞ

いじめが自殺を招来したことで世論が湧いている。いじめはいけない、いじめのない学校にしよう、いじめを助長した先生は懲戒免職だ……。そうやってがんじがらめにすれば、学校内のいじめはなくなるだろう。だが、それでいいのだろうか?その生徒が社会に出る…

味覚とは奇妙なもの

唐九郎の説では、酒は飲みにくいぐい呑みで飲む方がうまいという。お茶もそうらしい。そこで実験してみた。味覚は主観的なものだから、えてしてこういう既知情報に左右されやすい。だからあまり確かなことではない。だが、味覚とは主観が主観として味わうも…

あ〜あ

昨日も書いたように、ためこんだ素焼きの器を見ているうちに(何を考えたか、あるいは、魔が差したのか)ほとんど全部を絵唐津風の絵付けをして透明釉を掛けてしまった。どうしてだろう。師匠の工房にいるとどういうわけか正常な判断がときとしてできなくな…

釉の憂慮

まったく困ったことだ。茶碗を作り、素焼きも終ったのに釉が決まらないので本焼きに入れない。一度狙った釉で試し焼きしたのだが、気に入らない。せっかくの半筒茶碗なのできちんとこの世へ産み出してやりたい。そこで延々と悩む。ああでもない、こうでもな…

鉛筆の線の向う岸

すでに書いたように、デッサン(厳密にはクロッキー)を週に一度習っているのだが、美術の世界は本当にすごいと思い知らされることしきりである。自分ではもうこれ以上手を加えることはない、と信じて師匠のもとに向うのだが、いつもメタメタにやられてしま…

荒土の恩恵

最近、松江の粘土屋さんから唐津の荒土を買った。いわゆる「ばさい」土でそのままでは菊練りもできない。当然、ロクロを挽こうとしてもばりばりヒビが入る。こりゃ困った。もしかして粘土屋は質の悪いにせ物を送ってきたか?人間が小さいのですぐにひとを疑…

日本の原風景

稔りの秋だ。何度見てもこの光景はいい。黄金色の田、まだ緑が混じった田、さまざまだ。 また、稔った穂が整然と並ぶ田もあれば、無惨に倒れている田もある。たまたま近くで稲刈りをしていたひとに聞くと、黄色いのは早稲で、他のより10日ばかり収穫が早いと…

土の固さ

ロクロを挽く。水を粘土に染み込ませて成形するのだから、粘土は、触れてみると分るように、ぐにゃぐにゃだ。ちょっと力の加減を間違えると器ははげしく変形して《オブジェ》と呼ぶしかないシロモノになる。にもかかわらず、ロクロで水挽きしているといつの…

朝三暮四

何を隠そう私は便秘だ。いろいろ効きそうなものを試してはいるが、効果がなかったり、あっても長続きしにくいものだったりで困っていた。「いた」と書くのは、今は困っていないからだ。健康オタクの弟がいいものを教えてくれた。今までもあれこれ紹介してく…

悲しい闘志

加藤唐九郎の作品を何冊かの本で見る。志野もすごい、唐津もすごい、黄瀬戸も、瀬戸黒もすごい、なにもかもすごい。出るのはただため息のみだ。ある本の頁をめくるとそこには唐九郎のぐい呑みが並んでいた。何かになぐられたような感覚がからだを走った。絶…

面と線と

T先生にデッサンを習っているのだが、これがなかなかむずかしい。美術をやっているひとにとっては当り前なことが初心の私には仰天するほど新しい。拳を描く。私は人差し指と中指の間の線から始めていた。T先生からダメ出しを受けた。手に白布を被せ、そうし…

薄いのがいいのか、厚いのがいいのか?

ロクロで薄く挽けるようになると限界まで薄く出来る。それが楽しくてつい薄く作る。以前の器を見るとぼってりしている(と感じる)。だが、薄ければいいというものでもないらしい。薄くできて喜んでいたが、唐九郎の器を美術館で見て、驚愕した。えっ、あん…