やれやれ

土、日、月と三日かかってようやく研究室の整理が一段落ついた。それにしても持つべきものは友である。困った時にこそ真の友が見えてくる。まさにA friend in need is a friend indeedだ。修士論文卒業論文の執筆を中断して手伝ってくれたゼミ生、ハードな仕事の合間に休む時間を削って駆けつけてくれた劇団員、夏休み最後の大切な時間を割いてくれた学生、みんなありがとう。なんだかうれしい気持だ。

資料の整理をしていると昔なつかしいものが出てくる。写真、週刊誌や新聞、劇のパンフレットやポスター、昔の衣裳、いまでは存在もしられていない謄写版ガリ版)のヤスリ板などなど。その都度、作業は中断して、回顧展となる。

整理ということは廃棄ということでもある。これまでに買いためた本は無数ある。ということは未読の本もたくさんあるということだ。そこで考える……余生で読む本、読める本はどれか、と。かくして、読む価値のあるいい本だと分っていてもあきらめる。これまではいつか読むだろうと考えたが、今ではもう読まないだろうと考えるようになった。

捨てることは過去との訣別だ。同時に、未来の選りすぐりだ。若い時ほど未来は茫洋としているが、還暦ともなると未来は限定的にならざるを得ない。それだからこそ、過去を振り捨てることが濃い未来の招来につながる。かなり大量の廃棄本がゴミ捨て場に積み上げられた。掃除のおばさん、赦して下さい。

でも、まだすべて終ったわけではない。それを考えると憂鬱になる。でも、やり終えれば新しい日々が待っているということでもある。それを考えると希望が湧いてくる。

部屋はまだ大いなる混沌のなかにある。