ポアンカレ予想

一晩中ポアンカレの文字が頭のなかで揺らめいていた。
ゆうべNHKで再放送していた数学の難問は結局の所ワケが分らなかったというのが正直な感想だが、考えてみれば当り前の話で、100年間も解けなかった問題が1時間の番組でワケが分ってしまったらその方が不可解である。
それにしても数学者は何と魅惑に満ちた世界を生きているのだろう。数学は微分がすでに難解な私にとって、ある種の畏怖の対象である。
この難問を解いたペルレマンが失踪したというエピソードはどちらかと言えば三面記事ネタであり、面白そうではあるが、数学の不思議とは別種な感じがする。彼の解法を丸まるコピーして発表して平気でいられる中国という国の数学事情なども世俗ネタの部類である。
すさまじいと思ったのは、解法の講義に出席した数学者たちがペルレマンの説明を理解できなかったことである。さらにすごいのはその解法が正しいことを証明する数学者たちがいたということだ。こうなると妙なたとえ話で申し訳ないが、100万円儲かったという話にはリアリティがあるが、100億儲かったとなると雲を掴むようになるのと同じだ。私たちの理解を超えた次元の話はすべて「要するに」が付いてしまう。「要するにむずかしいんだ」と。
そういう「要するに」付きの問題に命をかけられることに敬意を表したい。
以前、海辺の石をひたすら拾いつづけることで自分の作品を追究する芸術家をTVで紹介していたが、その時にも同じ敬意を感じた。
不可解のただ中で、その不可解に気付かずに生きる私たちだが、天才は不可解を解いてしまうのだろうか?ペルレマンにとってポアンカレ予想という不可解はどんな風に見えていたのだろうか。それは不幸な出来事ではなかったのだろうか?
凡人の私は不可解は不可解のままが美しいと思ってしまうのだが・・・。




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