オクシモロン




コロッケがとしちゃんのものまねをする
2×2は3
実によい
今日は歯医者で先月に作ったマウスピースを調整する日だった。診療用の椅子に坐って待つ間、すぐ前に置いてあったスツールを見て思う。

スツールは有用を前面に押し出している。そのせいでスツールそのものの存在はかぎりなくうしろへ追いやられている。坐るためのもの、が、そこに自立しているものを覆い隠すのだ。


では、器ではどうだろう。器はうつろなものである。うつろであることの裂け目がうつわの本性だ。虚であること、しかも、密度ある虚であることが器の露堂々だ。


用のための器。例えばすり鉢や花活け、生活雑器一般。使いやすさを前提とする器は、水平に(こちら側へと)用を押し出してくるため、器の虚はそれに隠れてしまっている。


逆に無用の用の器。例えば、柿右衛門へうげもの(沓茶碗)はどうだろう。極度の装飾が垂直に立ち上がって、虚の正反対のものが天から降り注ぐ。我々はそれに気を取られて器の虚を見失う。


大切なのは自分自身の虚を見せもしないし、隠しもしない器のすがた。密度ある虚という宿命。


だから器作りはやめられないのだ。







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