オクシモロン
∴
コロッケがとしちゃんのものまねをする
2×2は3
実によい
スツールは有用を前面に押し出している。そのせいでスツールそのものの存在はかぎりなくうしろへ追いやられている。坐るためのもの、が、そこに自立しているものを覆い隠すのだ。
では、器ではどうだろう。器はうつろなものである。うつろであることの裂け目がうつわの本性だ。虚であること、しかも、密度ある虚であることが器の露堂々だ。
用のための器。例えばすり鉢や花活け、生活雑器一般。使いやすさを前提とする器は、水平に(こちら側へと)用を押し出してくるため、器の虚はそれに隠れてしまっている。
逆に無用の用の器。例えば、柿右衛門やへうげもの(沓茶碗)はどうだろう。極度の装飾が垂直に立ち上がって、虚の正反対のものが天から降り注ぐ。我々はそれに気を取られて器の虚を見失う。
大切なのは自分自身の虚を見せもしないし、隠しもしない器のすがた。密度ある虚という宿命。
だから器作りはやめられないのだ。