もの申す




蛙にも
腰痛はないんだろうなあ


凄惨な死体は必要なのか?


腰痛で寝ている。ヒマである。録画したTVドラマを観るくらいしかやることがない。


つねづね思っているのだがサスペンスドラマでの殺しの場面。限りなくリアルである(もっとも本物の殺人事件の現場を見ていないので、想像での話だが)。そして、いつも思う。このカットはただ美術担当の自己満足のためであり、作品制作とはほとんど関係ない、と。


舞台の世界では演戯に自信のないところほど、美術と照明に凝ると相場は決まっている。要するに役者以外の効果に頼るのである。
TVドラマもいっしょだなと思う。


シナリオが貧弱、演出が凡庸、役者が大根だと、殺人の場面ばかりに手が込む。見ていて気分悪い。結局作品はますます劣悪になって行くのである。負の連鎖。


刑事コロンボはほとんど死体を写さなかったように記憶している。少なくとも後頭部から血がどろどろ流れ出している……そんな場面はなかった。何故か?ドラマ全体の組立がしっかり考えられているからだ。
日本のサスペンスは残酷なところだけに力点を置き、謎解きなどひどいものである。


それでもときどき見ごたえのあるドラマに出会うこともある。それらに共通しているのは軽快さだ。ある種の滑稽を軸に物語が展開する。これで殺しの現場を軽やかにできれば日本のドラマ作りも一流になれるのだが……。残念ながら血のりべとべとという固定観念から抜け出せない関係者集団でドラマは作られている(政治の世界も似たようなものだ)から長い道のりになるんだろうなあ。もっとオシャレにやって欲しい。





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