思いあり




室内の暖かさと戸外の寒さ
血管がちぢこまる


満ち足りた心からものは生まれない。不満がなければもの作りはできないのだ。今朝そんなことをふと思ったら、昔読んだ詩を一節を思い出した。


but the potter's empty hands
wrung with discontent
だが、陶芸家のうつろな手は
不満でひきしぼられた
Caroline FinkelsteinのThe Soul in the Bowlという詩だ。短い詩だが、出産に陶芸を重ね合わせて詠った佳品だ。このブログの最後に全文を載せる。

あの頃は毎年2月に定期試験があり、その季節になると、図書館にこもり、その一年くらいに書かれた飜訳も批評もまったくないであろう詩をPoetryという雑誌から探していた。読んでも意味が取れないものが多かったが、中にははっとさせられるものもあった。

この詩は1990年6月にに発表されたものだ、おそらく試験に出したもののひとつだったろう。

英詩講読という授業(演習に近いものだった)の最終試験は新作の詩を1篇(2篇か3篇から1篇を選ぶということもあったかも知れない)出題した。学生はそれを試験場から落ち帰り、図書館や空いている教室、あるいは、自宅で答案を書き、その日の午後6時に提出、というものだった。答案の冒頭にこの答案作成にあたり誰とも相談していないことを誓います、という宣誓を書かせた。長文の解釈になるのでひとと相談すればその形跡が読んでいてすぐに分るのでいわゆるカンニングはなかったと思う。上級生に書いてもらうという手もあったかも知れないが、みな試験で忙しい上、新作のけっこうむずかしい詩だったので、一年間みっちり解釈を習ったものにしか解答は困難だ。だから身替り受験を買って出るものはなかったろう。

6時近くなって研究室で待っているとほとんどの受講生はぎりぎりの時間に、大学指定の解答用紙を手にして、せっぱつまった顔でやって来た。おお、がんばったな、と声を掛けてやりたかった。

今となっては楽しい思い出である。


The Soul in the Bowl
  Caroline Finkelstein





In the clay, in the grey
cool slip of the bed
of the creek, in a marriage
of water and matter,
it was formless--



in the night of it,
in the cornflowered
dawn of its being
asleep, it was whole
and alone--



like shadow, like ivy
climbing up slowly
in dreams, it flourished,
a star in the dark--



but the potter's empty hands
wrung with discontent
and the hard burning kiln
wanted
something to anneal-



when I Iook into my child's
face, I see
fine lines like writing
and like fracture.


(Poetry, June, 1990, The Poetry Foundation)




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