朝のひととき




台本の文体はゆるんだようだが
私の首は凝ったままだ


夕陽もきれいだが、ときに朝の光も美しい。

ほんの一瞬なのだが射し込む光の粒がまぼろしを生み出す。

そのとき「あとで」と思ったらもう光の粒の魔法を留めることはできない。
まさに『夏の夜の夢』の


Swift as a shadow, short as any dream
の世界である。

最後の著書「明るい部屋」の中でロラン・バルトが写真についての決定的な存在論的差異をストゥディウムとプンクトゥムという絶妙な術語で切り分けているが、この面(「乙」)のかもしだすおおらかな土着と、まかり間違えば不気味さにも通じる明るい闇への入口は、ストゥディウム(英語で言えばstudy)の律儀さでは捉えられない。プンクトゥム(英語のpoint)はラテン語でいろいろな意味を持つが、そのひとつが「痛点」である。(ちなみに私はラテン語を解さない。バルトの受け売りに過ぎない)「痛点」を持った写真はからだに響くのだ。

とはいえ、写真術を自慢したいのではない。ひかりのわざを愛でたいのだ。




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