戌失格とはいうものの
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やや曇天だが柿の蔕外干し
雨よ夕方まで降らないでくれ
私はつい最近まで戌年にふさわしく鼻の利く人間だと思っていた。
松栄堂の抹香や線香を日替わりでくゆらしている。その中には非常によい香りのするものがある一方あまり匂いを感じないものもある。私はそれをお香の成分がよくないものと信じて疑わなかった。
だが、芝居で香を焚く場面があり、試しにいくつかの抹香を焚いて劇団員に印象を聴くと、私にはその良さがまったく分らないものを甘くてよい香りがするというのだ。
ちょっとショックを受けた。
もちろん、みんなと意見が一致する香もある。いろいろ試すうちに、どうやら私の鼻はある特殊な芳香を嗅ぐ能力に欠けているらしいことに気付いた。それがどの香木の香りなのかまでは分らないが、とにかく私とは相性が悪いのだ。というか、好ましさを感じる範囲が人より狭いのだ。
考えてみると茶碗でも、絵画でも、書でも、そういうことがある。
しかし、それが個性というものだろう。すべてが人並みだったらなんとつまらない人生だろう。
私が私であるのは、人並みから欠けたものを有していることにあるのだ。欠けは転じれば余白になりうる。
大きな牛が格子窓を通りすぎて行く。頭も角も四つ足も通り抜けたのに、なぜ尻尾だけは格子を抜けて通れないのか。(無門関第38則)
ネットで検索すると面白いほどとんちんかんな「解答」が書込まれている。 まさしく38則は怪盗二十面相である。