飛行訓練

今は飛ぶ前にしゃがみ込んでいるときだ。

それにしても芝居という「時」の化身は、この世の時間の中で具現しようとするとなかなか入口が見つからないものだ。台本という観念世界のなかでは自由奔放にはしゃいでいた「時」が、いざ私たちの時の舞台へと移そうとした瞬間それまでの無邪気はなりをひそめ、まるで鉄の塊でもあるかのように動かなくなってしまう。

それだけ私たちの身体は(体重ではない)重いということだろう。

器は触らずに作れ。これは陶工が日々実践している「時」の具現だ。

言えばただそれだけのこと柳かな。そういうことなのだ。