作って、削って……

今はひたすら作る、削るの日々だ。手びねりもあれば手ロクロも使うこともある。どっちにもよさがあるから片方だけというわけには行かない。最近目覚めたのは30cm手ロクロの味だ。大きくて重いのでよく回る。それまで軽いロクロしか使っていなかったので作りが少し(初心者の常か?)ちまちましているのを見かねて師匠が使わせるよう仕向けてくれたのかも知れない。多謝。持つべきは師と友だ。

今日80目のふるいが届いた。これでいよいよ釉の調合に入れる。モルとかゼーゲル(読み方が古い、これだとハイデッゲルとなる。ゼーガーではないか?)式だとか、アルカリ、アルミナAl2O3、シリカSiO2だとか、何だか化学の実験のようでもある。かと思うと長石、珪石、石灰石などまるで地質学だ。要はこの組合せで多種多様な色や色調、手触り、透明感、不透明感が生まれるということだ。自分の組合せを見つけるまでは(いや、たぶん、見つけてからも)夢にあれとあれを混ぜたら……などと出てくるだろう。今朝も赤一号に長石をまぜた場合と珪石をまぜた場合の三角座標はどうやればいいのだろうと悩んでいる夢を見た。

面白いのは藁灰だ。これから藁灰釉が作られる。天然の灰は安定しない。うれしくなるような青みがかった白と茶の斑を作るかと思えば、濃いベージュだけの平べったい色調でがっかりすることもある。同じ焼き方でこれほど違う。だから焼きは一生と言うのだろう。

鉄も面白い。青になったり、黄色になったりするかと思えば、もちろん黒にもなる。単体の色は赤だ。錆の色だ。それが土と釉に出会うと豹変する。子供の時、磁石で砂鉄を集めて遊んだことがある。また、童心に戻って砂鉄を集めようか。伊賀の真っ白な土に、赤一号の茶色に面白いホクロが出来る。藁灰釉と出会えば黒い釉ダレになる。

最近、釉のパターンに凝りすぎた。あまりに多様なパターンを求めていやになってしまうほどだった。もっと気長に行こうよ。そう言い聞かせる。藁灰釉の斑唐津だけの一生でもいいかも知れない。それほど奥は深い。でも、とすぐに浮気心が疼きはじめる。朝鮮唐津ぐい呑みもいいぞ。まだ成功してないじゃないか。むらむらと頭の片隅で動くものがある。

それにしても、窯を持ちたい。ああ、窯場にしあらましかば今灼熱月!