切立はままならない

最近、朝夕がけっこう涼しくなってきた。気温自体は高いのだが体感的にはしのげる暑さだ。でも、去年の統計を見ると15日過ぎてから最高温度になっているので気は抜けないが。

工房も正午はほぼ40度に達し、扇風機は熱い風を動かすだけの働きしかない。それでも(一日中いたら別だが)それほどしんどい感じはない。むしろ7月の方がつらかった。人間暑さにも慣れるのだろう。

毎日、切立湯呑の稽古をしているが毎日発見がある。ワザの発見であったり、自分の不器用さの発見であったりする。毎日違うことを発見しているということはまだまだ先が長いということでもある。訓練校時代、5万個引けば何とかなる、そんなことを言われたような気がする。頭でなく、手が覚えるまでには時間がかかるのだ。

風姿花伝」の


稽古は強かれ、情識(慢心)は無かれ
は永遠の課題だ。
しかし、観世寿夫が「世阿弥の世界」の中で言っていることは傾聴に値する。

ただ日夜にわたって烈しく稽古をおこなえばよいというのではない。・・・単に肉体的な修練だけをすることによって、もっと広い人間としての生き方がゆがめられ、頑な性格になってはいけないということが含められている
「稽古」を稽古する必要がありそうだ。陶工もただ茶碗がうまく引ければよいというものではない。でも、それはまだまだ先の話で、私のような下手では話にならないだろう。「ゲテモノ(下手物)」ばかり作っているならそれはそれでよいのだろうが・・・。

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