バドミントン考
ゆうべは北島の金メダルや、女子バレーの3タテの勝利でうれしかったが、悔しい思いもした。小椋・潮田組の敗北のことだ。人気が先行している感のある日本のペアをはじめから鼻であしらっているかのような試合態度だった。とにかく中国ペアは強かった。その力まかせの試合ぶりに、我が敬愛するチベット民族を蹂躙する漢民族の姿がオーバーラップしたりもした。
今日、書きたいのは声援のことだ。
例えばウィンブルドンと昨日の試合の差はどうだろう。それがバドミントンと言われればそれまでだが、ローンテニスでは咳さえも許されない。それだけボール操作に神経を使うということだろう。でも、たった5gのシャトルコックを操作するのもかなりな神経を使うように思う。しかもスマッシュの初速は男子では350km、女子でも280kmと聞く。テニスでは相手が打ってからボールがこちらに届くまでバドミントンに比べたらかなり時間は掛る。バドミントンは一瞬である。そこにスマッシュごとにあの大声援である。
私には異様に思えた。スポーツの世界で異様に感じるのはどこかが間違っているのだと私は信じている。芸術作品が異様なのはある種の狂気が表出されている可能性があり、許容できるのだが、ことスポーツで異様と感じるのは受入れがたい。北島が驚異の追上げて世界新で優勝した。異様とは思わない。古い話だが、東京五輪の棒高跳の9時間7分に及ぶ決勝も異様とは感じなかった。過去のマラソンでも信じられないような立直りで優勝した例がいくつもある。感動はするが、異様とは感じない。でも、昨日の試合は異様だった。
別に中国国民を責めているのではない。失礼な言い方だが予想に反して観客マナーは今までのところ驚くほどよい。
バドミントン協会はどう考えているのだろう。まあ、選手はこういう応援に慣れているのだから、外野がとやこういう問題ではないかも知れないが・・・。でも、あの声援は人間の反応を誤らせることは確かだ。
末綱・前田組が健闘することを祈る。