気分屋

前回の窯焚きは深夜というより早朝まで掛って疲労感たっぷりな朝帰りだった。
今回は1時前に撤収できたためか、翌朝の目覚めが最近ないほど爽やかだった。
苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。
今朝は一転どんよりとした目覚めである。
眠りというものはどうしてこう御しがたいものなのだろう。窯と同じだな・・・。
あるいはその日の天気に左右されるのだろうか?
あるいは私の性格が気分屋なせいなのか?
八木重吉に「壺のような日」という詩がある。その詩は静かな心のうちで何かを生み出そうとする衝動を感じている詩と思うのだが、私にとって壺のような日は全然違う。
今日はまさに壺のような日だ。
重吉は壺を外側から見ている。私の壺は中に私を中に閉じこめる壺なのだ。
ああ、出してくれ!
 
午後は窯出しだ。