霧雨の朝

雨垂れの音はしないのに、車が通ると水しぶきの音がする。
ゴミ出しに出たら霧雨が降っていた。晴れないと買いに行けない建築資材がある。これがないと防音断熱仕様の寝室が仕上がらない。明日は晴の予報なので期待しよう。
昔のドラマを見返していたら、気持を抑え込む努力をしているとだんだん人並みの感情はやせ細り、やがて感動することもなくなって行く、そんなことを孤独な作家が語っていた。
もしかして子供の感動を褒めたたえる虹の詩を書いたワーズワースは感動のひとではなく、感動を夢見たひとだったのかも知れない・・・ふとそう思った。


Poetry is the spontaneous overflow of powerful feelings: it takes its origin from emotion recollected in tranquility.
詩は力強い感情がおのずからほとばしり出たものである。その源泉は静寂のなかに思い起こされる情感にある。
いつも気になっているのがこの有名な一節だ。情感はほとばしり出るのではなく「思い起こされる」のだ。過ぎ去ったものの反復である。
'I wandered lonely as a cloud'ではじまる水仙の詩でも一番のハイライトは過去形で語られている・・・

I gazed --- and gazed --- but little thought
What wealth the show to me had brought:
目をこらし、目をこらし見たものの、少しも思わなかった
その光景がどんな宝を私に与えたかを
その後に蛇足ともいうべき現在形の連がつづき、水仙の思い出がもたらす孤独の至福を説明する。大学生時代、この連がなければ大傑作になっていたのに、と不遜にも思っていた。
しかし、今思うとこのロマン派の詩人にとって最後の連がハイライトだったのだ。34歳の時の作ではあるが、すでに彼の感情は懐古に支えられていた。
それがロマンティックなポーズだったのかどうか私は知らない。



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