同類

昨日、早めの夕飯を山家で食べた。6時前だったので客は私ひとりだ。大将があれこれ窯のことを訊いてくる。生掛けについても反応を示す。かなり詳しい。こっちから訊いてみたら以前薪窯をやっていたという。自然釉の壺が何点か飾られていた。蕎麦を食べながらやきものの話が出来るとは思っても見なかったので何だかうれしい。
そうなのだ、群馬に移り住んで一番さみしいのはやきものの話ができないことなのだ。時折利休君が電話をくれてあれこれ話すのが数少ないやきもの談義である。
いやいや近くには訓練校の先輩もいるのだから、行って話せばいいではないか……
と、思いはするのだが生来のものぐさものである。その上人見知りだ。なかなか行動に移せない。焦ってはいけない。出会いには出会いの時節があるものだ。
さて、やきもの山房の作業場だが、暑い。とても長居はできない。連日40度近い。あまりの暑さで作ったまま長板に乗せてある器の口が時折ポロリと欠け落ちている。凍らせてヒビが入ったことはあったが、こんなことは初めてだ。ヒビと違って水拭きで何とかなりそうだが……。
そういえば3年前、瀬戸で借りていた工房が42度まで上がったことがある。あの夏も暑かった。ただ今年ほど連日の猛暑ではなかった気がする。
そんなわけで今はとても作業ができない。する気力もない。ただひたすら涼風が吹くのを待つのみである。
ああ、∴ん窯の五郎老いたり!と嗤わば嗤え。
否定はしないよ。老いも茶碗のうちである。とにかく私は茶碗になりたいのだ。

昨日ハンス・コパーのドキュメンタリーを見た。まったく知らない陶芸家だった。ユダヤ人の血を引き継いでいたため、イギリスへ逃れて活動したという。何となくルーシー・リーを思った。番組が進み、分ったのは、なんとそのルーシーと同じ工房で仕事をしていたのだ。作風は対極にある、と紹介されていたが、私の目にはよく似て映った。
戦争が終り、ユダヤ人迫害の心配もなくなり作陶を再開したルーシーのもとで、ボタンの型押し要員にハンスは雇われたという。その後、めきめき腕を上げ、共同展示会を開くまでになった。天才を天才を見抜くのだ。
ハンスのことば……どうやって作るのか、ではなく、何故作るのかを問え。
でも、何故を問うてしまったら器と作者が二つに割れてしまうではないか。
彼の作品はどれもみな不安に満ちている。何故を問うそのはからいが私には余計なものであったように思える。