満ち足りることの秘密

ラーメンを食べた。ダシは極上、スープには一点のくもりもない。チャーシューもぬかりなく手が加えられている。麺の腰も申し分ない。すべてが頂上へ向って何の不足もなく収斂している。当然、極上のラーメンになる……はずだった。
が、実際は物足りなさが残った。
すべてが絶品なのに、いや、、すべてが絶品だっただけに、物足りなさもひときわ大きかった。
私が食した「極上の」ラーメンはラーメンではなかった。このラーメンがラーメンになるには何かが欠けていた。それは、たぶん、泥臭さだろう。
作り手は洗練を目指す。苦労して苦労して洗練を目指す。
そこに頂上があるものだと思って。
しかし、《洗練》は《完成》ではなかった。
どきり、とした。
やきものだって同じだ。
舞台だって同じだ。
洗練には、至難のわざではあるが、道しるべがある。洗練へと向って行けば千分の一の確率にせよ、洗練に至る。だが、やっかいなことに、泥臭さに辿りつくような道は存在しないのだ。洗練が目標なのに対して、泥臭さは余剰である。何かの果てに到達するものではなく、果ての脇にいつの間にか連れ添うものだ。
じゃ、どうすればよいのだろう……。
もちろん、それが分れば世話はない。まさにチェホフの三人姉妹のように


それが分ったら、それが分ったらねえ



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