よりしろ




やはり
抹茶はおいしい



よりしろとは神霊が宿るとされている神木や御幣などを指すのだが、より一般的に考えをひろげればT.S.エリオットが言い始めた客観的相関物(objective correlative)の神道版と考えることもできよう。

エリオットは『ハムレット』の批評でこの作品には客観的相関物がないため失敗作だと断じた。この意見には賛否両論あるだろうが、彼が示して見せた芸術作品世界の構造への洞察に異を唱えるものはあるまい。

こんなことを言い始めたのは、台本を書く際に《よりしろ》を欠いたものは悲惨な結果に陥るという経験を今更ながらに思い出したからだ。

そうなのだ、今この秋の桐生演劇祭への参加作品「眼は横にあり、鼻は縦に付き」の台本を書こうとしているのだが、そのよりしろは一体何なんだ?とこの期に及んでうろうろ、おろおろしているのだ。

「冬の水琴窟」では酒蔵の6本の柱、「羊歯の森で」では白井宿の井戸、「地螢」では塩蔵の塩がそれぞれよりしろになっていた。ここで言うよりしろはもちろん私の中だけの話であり、その点作品中に明示的に現れるエリオットのいう客観的相関物とはかけ離れている。

書く方にしてみれば同じことなのだが……

演劇祭の会場「無鄰館」の天井にぽっかりと開いたあかり取りの窓……実はここは元織物工場だったのだ……を見て、何故か最初に頭に浮かんだのはリチャード・ウィルバー(Richard Wilbur)の詩だった。 

それはこんな風に始まる……


The eyes open to a cry of pulleys,
And spirited from sleep, the astounded soul
Hangs for a moment bodiless and simple
As false dawn.
滑車の音に目が覚める
眠りから連れ戻され、びっくり仰天の魂は
一瞬からだを失い、ごく単純に宙づりになっていた
夜明け前の微かな光のように

だからといって何かがオーロラの如く蠢きはじめた、というわけではないのだ。
そこに悩ましい問題がある。





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