窯焚き〜柿の蔕、再挑戦




蒸し暑い
空もどんより
私もどんより

進むのは謂ば1mmづづ。外見はほとんど変わりない。ただ、何かが違う。その「何か」のために悩む。小さな違いが大きな差異になる。

言ってみればハーモニーのようなもの。ピアノやキーボードのドミソをハモっていると感じるひとはそれはそれでいいのだが、それでは協和の恍惚の扉は開かない。
そのくらいな違いに敏感でありたい。
狭い世界だが、面白い。あれも、これも、ではなく、これだけしか、の世界。

何でもこなすひと、幅の広いひとは確かに素晴らしい。そういうひとが陶芸家にはたくさんいる。

むかしの私はそういう才能をうらやましいと思った。今は違う。

病んで知ったことがある。狭いことの広さだ。

大きな牛が格子窓を通りすぎて行く。頭が通りすぎる。肩が通りすぎる。腰が通りすぎる。だが、いつまで待っても尻尾が通りすぎて行かない。どうしてか?

こういう狭い広さを今は大切にしたい。


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