small hands

e.e.cummingsの詩に春雨の内へと染み込む力を歌ったものがある。彼はさらに恋人の微笑みは春雨のsmall handsよりもっと内へと入り込むと詠嘆している。

こういう詩を読む時、「役に立つ」っていったい何だろうといぶかしく思う。今は「役に立つ」ことが花盛りだ。その「役」をじっくり見てみるとほとんどが実利的な「得」である。

潰瘍性大腸炎という難病があるという。たまたま出会ったブログで最近知った。著者は全日本のトップレベルのアルペンスキーヤーだ。彼は難病と闘いながらレースに復帰して年末のレースでは一位に輝いた。読んでいて目頭が熱くなった。

だが、そのブログに、引用するのも憚られるようなトラックバックが添えられている。時代があらくれになった、ということだ。貧困の中で魂がすさんでいる。役立つことを最優先する時代なのに?いや、そういう時代だからであろう。

皮肉なものだ。

ことばは魂の鏡だ。「役」ばかり追い求める精神にはことばは無機質な伝達の道具にすぎない。だが、small handsになって内面に入り込み世界を千変万化させてみせてくれるのも同じことばなのだ。