台本へ〜夏の公演の日取りが決まる

夏芝居は7月7,8,9日に決定した。

となると台本を書かねばならないのだが、今のところからだが台本モードになっていないので夏の芝居は漠として捉えがたい。魚津の蜃気楼の方がまだくっきりしている。少なくとも船とか煙突とかの姿は見定められるのだから。

今夜は声とからだのワークショップ第3回目だ。簡単な基礎稽古のあと、二班に分れて作品作りに入る。ワークショップは劇団の活動と違ってたった4回しかないので、人との出会いは一瞬の火花だ。それだけ緊張もあるが、その手探りが楽しくもある。

ひとが集まるとそこに気が集まり、雲のような雰囲気が生まれる。作品作りは音響作品を作るというより雰囲気をかたちにはめ込んでゆく作業に近い。もちろん当事者がそうしようと意識しているわけではない。全体の統括者として少し距離をおいて見ているとそういう気配が見える。それがまた面白い。

4回しかないから躊躇している時間的余裕はない。それが7篇から8篇の詩の断片を組み合わせて混沌の中の秩序を生み出す弾みになっている。一ヶ月あったらどうだろう。時間があればできるというわけではないのだ。

話は飛ぶが昔、小田和正率いるオフコースがアルバムを作る過程をレポオトしたTV番組があった。ひと月だったかスタジオを借り切って一から曲を作って行く様を克明に描いていた。スタジオに入ると曲付け、ハーモニー付けがされて行く。次第にドラム、ベースも加わりあっという間に作品が仕上がって行く。歌詞はホテルでメロディに合わせて付けていた。

これもひと月という期限を切られているから10曲なりのアルバムがあれほどスムーズに仕上がって行くのだろう。いや、TVでは放映されていない数々のトラブルはあったのだろうが、それでも私も知っている名作があんな風に生み出されて行ったのだと知ったときの驚きは計り知れないものだった。見事というしかなかった。

ひと月で名曲が生み出せるのはもちろん何よりも才能のなせる技だろう。だが、ひと月だから出来たとも言える。

こう書いてきて5月までに、と厳命された台本が仕上がるかどうかは私の才能次第なのだと言っているに等しいことに気づいた。困ったことだ。

最近芝居の姿が見えない。何が書きたいのかが見えにくくなっている。才能の方は今さらどうしようもないから、期限を決められていることの弾みをもらって一気呵成に……という具合に行けばいいのだが。