鮎川哲也「王を探せ」読了。

この手のトリックものはメモを取りながら作者に付き合わなければ楽しめない、と知った。私は物ぐさだからメモなどは取らないので当然のことながら楽しめなかった。しかし、である。無い物ねだりを承知でひと言もの申したい。この作品は微細な観念の操作に終始しているので現実感がない。もちろんどんな小説も現実そのものではないのだからそういう意味での現実感はないに決まっているのだが、それでも観念に付きまとう現実感覚というものはある。むしろ人間はその観念のなかの現実感覚を現実と思って生きている。そういう感触がこの小説にはない。観念の遊びにすぎない。数学のようでもあるが、そういうとおそらく数学者が真っ赤になって反論することは想像に難くない。遊びがすぎて時に筆が横道に逸れてしまう。トリックを最優先にしているため構成はかなりいい加減だ。二つの殺人事件の出し方にしても、忘れたころに取り出される電車のトリックにしても、また、鬼貫刑事の登場の仕方にしても、緊密なトリックに比べると、あまり緊密な構成上の必然性を感じない。
いや、それとも今の私の知性がこういう知的ゲームを味わう余裕を持っていないだけのことなのかも知れない。