空っぽ

頭の中がみごとに空だ。透明といえば透明でもある。窓のそとを見る。窓の外の景色が見える。ただそれだけだ。焼香を焚く。焼香の香りが部屋に立ちこめる。ただそれだけだ。

たいがいはちょっとしたことが台本のモチーフに化けたりするのだが、その「ちょっとしたこと」を化かす知的、感性的エネルギーがないらしい。

これだけ何も思い浮かばないと困ったという気分にさえならない。そのうちに……と待つしかないか。

もちろんこれはエイプリルフールではない。だいぶ、日が延びてきたが、4月1日が少しづつ暮れようとしている。ゑたいは今栄村の酒蔵で何をしているのだろう。留学生ナワンはどんな哲学的難題と取組んでいるのだろう。まだ登場しないし、名前も与えられていない二人の人物はどこで、何をしているのだろう。栄村はすべて混迷の中である。

木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

千曲川のスケッチ」で修練した空気の捉え方はさすがである。春よ来い。私の筆に来い。

いま出来ているのはゑたいの唄あるいは呪文くらいなものだ。


口かな 道かな
栃の地 妹なす地
野に歩行(かち) 見