ぐぐ、ぐぎゅッ

またしてもぎっくり腰だ。厳密には凝り固まり性腰痛。一日中安楽椅子に坐りっぱなしでほとんど動かず本を読んだりパソコン打ったりしていたのが効いた。ずしーんと効いた。

歩くのもやっとという為体だ。どうもこの季節は腰痛の季節らしい。一昨年もぎっくり腰になり、ちょうど夏芝居の台本を書いていたので、やけっぱちに

ぎっくり腰踏んだ
ぎっくり腰踏んだ
ちゃぐのばあさん、ぎっくり腰踏んだ
どぶ浚(さら)ひ
ハレ、どぶ浚ひ
  さて、八畳岩で剣舞(つるぎまい)
 百々(どんど)の滝を下に見て
ホレ、ぎっくり腰踏んだ
ぎっくり腰踏んだ
ちゃぐのばあさん、ぎっくり腰踏んだ


という「ぎっくり腰音頭」なるものを作りだして溜飲を下げた。今回はもう台本を書いてしまったので、この鬱憤を晴らす場がないのが残念だ。

一番最初にぎっくり腰をやったのも五月だった。

あれは1994年五月一日。忘れもしないF1サンマリノGP決勝日だった。私は病院でギブスをつけてもらい、痛み止めの脊椎注射を受けてベッドでうなっていた。好きなF1も見る気にならないくらい気分は低調だった。だが、なんとなく胸騒ぎがしてならない。深夜のTVのスイッチを入れると、いつもは冷静なF1解説者の今宮氏やその他の放送スタッフたちが目を真っ赤にしてレース後のコメントをぽつりぽつり、絞り出すように語っていた。アイルトン・セナが事故死したのだ。

衝撃が走った。信じられなかった。TVでは、セナがタンブレロ・コーナーに直線的に突っ込んで大破するシューマッハの車載カメラからの画像と、コックピットに収まったまま動かなくなったセナの姿を映し出すヘリコプターからの画像を交互に流していた。

英雄が消えた瞬間だった。セナはジェイムス・ディーンに似た悲哀を小さな顔に浮かべていた。そんなところが人気の秘密だったような気がする。もちろん走りも天才的だった。レース途中でのギアをほとんど失い6速だけで走り抜き優勝を手にし、コントロールラインを過ぎたところで車を停め、コックピットで号泣していた日本GPは感動的だった。

腰痛とセナの死が記憶のなかで重なった。だから五月は忘れられないのだ。

今年のサンマリノGPは少し早く4月23日(シェイクスピアの誕生日!)だった。勝者はあの時セナの後ろを走っていたシューマッハだ。あの日から12年、彼はイモラ(サンマリノ)で7度勝った。シューマッハ何を思う。