真夏の秋

朝、庭を見るとトンボが飛んでいる。空を見ると筋雲が積雲のさらに上を漂っていた。真夏の秋だ。

今朝は見た瞬間、あっ赤トンボだ、と思ったが、もしかすると見間違いかも知れない。実際は夏に飛ぶ種類のトンボだったのかも知れない。だが、見間違いであろうが、なかろうが、その姿に秋を感じたのは確かなことだ。

こういった象徴の力は時に桐一葉だったり、虫の音だったり、風の音だったりするが、世界の風景を一瞬に変えてしまう。ハイデガーの言うひとが世界内存在としてある証である。人間は、自分があらかじめ想定した世界に生きていないと、自分を自分として認識できないように作られている。私たちは「今自分はどこにいるのか」という感覚を無自覚のうちに何かから得ている。得ることによって自己存在を安定させている。

逆に言えば、自分から投影したイメージで世界が象られている。だから、赤トンボが飛ぶと真夏に天下の秋を知ることになるのだ。物理的な世界そのものは何ら変化していない。

そこに人間の豊かさの源泉がある。

冬から春にかけて砂嵐が舞う。目が痛い。イヤな風だ。これは物理的な世界を仕方なく受入れている姿だ。そこに詩人が登場する。迷惑千万な風を「春一番」と名付けた。そこに人が自分の住う世界、つまり世界内存在の世界、を豊かに象ろうとした痕跡がある。暦はそういう智慧に満ちている。先人に感謝したい。

今日は旧暦の七夕だ。

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