大したことではない、果してそうか

朝刊に、オリンピック開会式に彩りを添えた中国56民族の子どもたちが、実はほとんど漢民族の子供の着せ替え人形だったことを北京五輪組織委員会が認めたという記事が載っていた。

「たいしたことではない」の捨て台詞に現代の中国が象徴されている。あんなものは見世物にすぎない、何故大騒ぎをするのか、という意味だろうが、どっこい国際世界はそうは受取らないのだ。

口パク少女事件にしても、56民族事件にしても、見てくれだけで中身が伴っていない。中国の辞書には「やらせ」はないらしい。それが国際的にどういう影響を及すのか、直接的には支障ないだろうが、今の社会ではソフトパワーが最も強大なのだ。アメリカを見ればそれが分る。

56民族事件はおそらく何の政治的意図のない単なる「やらせ」だったのだろうが、結果的には弱小民族はみな漢民族が支配するのだ、というこれみよがしの政治的意思の表れと受取られても仕方あるまい。現実にチベットでは進行しているのだから。

今朝はまだツクツク法師が鳴かないな。それとも私が目覚める前に鳴いてしまったのだろうか?

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