指が覚える

技術というものは教科書通りには行かないものだ。最近ようやくロクロの引上げの基本を指が覚えてきた。

だが、私がやっているのは「やってはいけない」と言われたことなのだ。それが私にとっては一番無理なく引上げられることに気付いた。

指の形はひとそれぞれだ。教科書的な技術は謂わば最大公約数的な手法であり、結局はみな自分にぴったり合う手法を見つけなければならないのだ。指の形だけではない、関節の動きや柔らかさも違う。大ざっぱな作業なら一律に出来るだろうが、ロクロの引上げは「土に悟られるな」の極意が示すようにあまりに微細な動きを伴う。その動きは外から見ていても分らない。

スキーも同じだ。カービングターンで一本の(両脚で滑るから実際は二本だが)細い線を描くとき、ほんのわずかな体重のブレがズレを生む。ある斜面にズレのない限りなく細い一本の線を描くにはエッジの角度、重心の前後左右の位置の可能性はたった一つしかない。だが、同じゲレンデを滑っていても(ギリシアの賢者ではないが)同じ斜面は二度と滑れない。その都度その都度たった一つの可能性を探りながら滑っているのだ。

ロクロの方がもう少し可能性は広いように思う。同じ土には二度と触れない。厳密にはそうだが、まったく同じではないものの、ほとんど同じにする技術(土殺し)があるおかげで引上げの点を見つけるとかなり応用は効く。

点と言ったがこれは地理的な、あるいは、座標軸上の点ではない。中沢新一「極楽論」(『チベットモーツァルト』)の点であり、さらに逸脱すれば、ロラン・バルトプンクトゥム(『明るい部屋』)でもある。

また、勝手な妄想に耽っていると揶揄されそうだ。でも、それでいい。妄想も私の一部だ。茶碗だって所詮は空なのだから。となれば、楽しく妄想するのが幸せな人生というものだろう。

今日はロクロが自分としては今までで一番気持よく引けたので上機嫌だ。明日一日稽古をしたら群馬へ行くのでしばらくロクロに触れない。戻ってきたら今度は基本の修練と同時に作品作りへと踏出そうと思う。基本はあくまで基本である。守破離

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