バルトークを聴く
図書館の帰り、猛烈なスコールに遭った。あんなにすごい雨の中を走るのは久しぶりだ。
雨粒のしぶきが霧のようにフロントガラスを包み前が見えない。最高速のワイパーもほとんど意味をなさない。みんなゆっくり走る・・・スコール共同体。
今夜もおかげで涼しい。いつまで続くのだろう。このまま秋?そんなにうまい話はないだろうなァ。
今、アルバン・ベルク四重奏団のバルトーク「弦楽四重奏曲第五番」を聴いている。この奥行の深さはどうだろう!靄にけぶる森の道を歩いていると見たこともない風景がつぎつぎに現れる。もちろん、そんな物語を書いたわけではない。単なる心象だ。
聴いていると極上の茶碗を手にとってじっくり「掌で見る」ように味わっている風情が感じられる。私にとって茶碗は抽象音楽だ。絵が描かれた茶碗にひどく抵抗を感じていたわけがやっと分った。もちろんそういう茶碗に価値がないなどと言いたいのではない。あくまで私にとっての話だ。
絵が入ると、音楽に物語が入るように、関心が別な方向へ逸脱するよう感じる。音楽は音楽として、旋律として、響きとして、あるいは全体の雰囲気として、聴いた方が楽しい。茶碗も(私にとっては)絵がない方が造形の妙や釉の景色をはるかに落ちついて楽しめる。
弦楽四重奏曲はベートーヴェンで一応完成され尽したとされている。バルトークは楽聖によって固く閉じられた扉を、現代風の逸脱や転位をテコにしつつ、独自の民族性と感性を注入することでもう一度開いたのだ。
Bで始る偉大な音楽家は多い。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、バルトーク、ベルクなど。最初の三人は「三大B」という名前さえ与えられている。私は圧倒的にベートーヴェンが好きだ。音楽にのめり込んだのもベートーヴェンがきっかけだったし、演奏会で聴いた曲もベートーヴェンのが一番多い。次に好きな作曲家がバルトークだ。お気に入りは「管弦楽のための協奏曲」だ。特に第二楽章は何度聴いてもにんまりしてしまう。
あんな茶碗が作れればな、と願っている。