「雨あがる」を観る

黒澤明に二十八年間師事した小泉堯史が、監督の遺稿脚本と製作ノートを元に完成させた映画「雨あがる」を観る。
観終った後いちばん最初に思ったのはモーツァルトの「レクイエム」だったが、すぐに思い直した。いや、これはベートーヴェン弦楽四重奏曲16番なのかも知れない、と。
弟子が後半部を完成させた「レクイエム」は天才モーツァルトと弟子の違いをまざまざと見せつけるものとして有名である。
「雨あがる」を観ていて絶えずそのことが頭をよぎってはいた。だが、小泉堯史は「阿弥陀堂だより」という優れた作品を仕上げた監督である。モーツァルトの弟子とはずいぶん違う。それでも、黒澤だったらこんな風に撮ったろうかといくつもの場面で思った。役者の演戯にしても、果たしてこれにOKを出したろうかと思った。そして、まさかここで終りはしないだろうなというところでエンドロールが流れた。この映画は盛上がるところがない淡々とした平野である。この映画に関わる人たちの黒澤監督への愛情ばかりが突出していて監督がこだわりつづけた「映画」がおろそかになった、そう感じた。
しかし、再び思い直した・・・「夢」や「まあだだよ」などの黒澤作品は「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」などと同じレベルにはなかった、と。晩年の作品はメッセージが露骨すぎて映画ではなくプロパガンダになっていた。
黒澤の覚書には「見終わって晴れ晴れとした気持ちになること」とあったそうだが、映画はそれを押し売りしていた。ほら、晴れ晴れするでしょう、観ていて気持がいいでしょう、と。だが、観客はそう簡単には動かないものだ。
いや、私の見方は冷たすぎるのかも知れない。
ベートーヴェンの16番のカルテットは弦楽四重奏曲9番「ラズモフスキー第3番」を書いた人の作品かと耳を疑うほどシンプルだ。お茶目だ。そして、静謐だ。あまりに余計なものをそぎ落としすぎていて一度聴いただけではその魅力を掴みきれない。天才の晩年はこういう境地にたどり着くものなのだと聴くたびに思う。
「雨あがる」もそうなのかも知れない。そうあって欲しい。この映画は何度も観ないとそのよさが分らないのかも知れない。




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