向田邦子を読む

冬の運動会」を読んだ。TVドラマのシナリオのまま出版されているので、読んでいて面白い。彼女のドラマの中には諸田玲子さんによって小説化されて出版されているのもあるが、私はシナリオ版が好きだ。配役表を見ながら、ああ、この時きっとこの役者はこんな芝居をしたのだろう、と想像しながら読むのが楽しい。でも、ときにはどんな空気が流れているのかまったく読めないカットもある。演出家はここをどんな風に処理したのだろう、と気になる。かなりの作品がDVD化されているのでそれを買ってみれば済むのだが、なんだかそれはカンニングをするようでシャクだ。結局、不満を抱えながら読みすすむしかない。

TVの画面は文字では伝えられないことを表現できる。もちろん、その逆に文字でしか伝わらないこともあるのだが、向田邦子は画面の勢力というものを上手に使いこなしていた作家だ。シナリオには、ときに(これは私の推測だが)演出家と作家のあいだでのみやり取り可能な符牒が書込まれていて、一般の読者を戸惑わせる。私が向田作品を読みながら空気を想像できないのはそういう書込みの部分だろう。でも、私たちが何気なく見ているドラマにもそういう場面がたくさんあるはずだから、TV画面の持つ力を想像できるようになれば、謎めいた符牒から場面の空気を読むことも不可能ではないはずだ。

以前、山田太一のシナリオをしきりに集めていたことがある。最近は骨が見え透いている作品が多く、ちょっと残念なのだが、「真夜中の匂い」の頃は常識を破る破天荒な展開にわくわくした。シナリオしか見ていない作品もたくさんある。同じ作家のものを読込んでゆくとクセが分ってきて、ああ、ここはこういうカットにしたいのだろうな、とある程度推測できる。向田邦子のシナリオ作品はまだそれほど読んでいないので空気が読めないのだろう。

しかし、ひとつだけどんなに読込んでもこころの中のTVドラマでは再生不可能かことがある。

それは音楽のもたらす雰囲気だ。これだけはどうにもならない。実際にヴィデオを観るしかない。例えば「阿修羅のごとく」の冒頭で鳴り響く音楽がトルコの軍楽マーチでなく、別なものだったらどうだろう。まったく別な作品になっていたと思う。そういう意味でドラマは文字と画面と音楽の融合と言える。

つまらないTVドラマ論になってしまったが、今日は諸田さんの小説版で「家族熱」を読もうと思う。

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