土に悟られて・・・

窯がないので相変わらず切立稽古の毎日だ。
最近、11cmの壁は何とかクリア出来てきたのだが、まだ、ねじれる確率が高い。肉厚にこだわらなければねじれることはないのだが、自分としてはどうしてももう少し薄く挽きたい気持がある。製品としてどうこうというのではない。引上げの稽古として、もう少しこだわりたい。
ただ20個挽いて20個すべてがねじれ、ずらり板に並んでいるのを見ると、訓練校でどの先生だったか失念したが、どうやっても同じになるというのはそういう才能があるのだと思えばよい、と言われたのを思い出す。私にはどうやらねじれた湯呑を作る「才能」があるらしい。トホホ。
うまく行く時は問題ない。気合ですっと引き上がる。それが2度つづく。気持がよい。問題はその次だ。3回繰り返せれば本物だ、などと自分を煽る。邪念が土に伝わって、突然ねじれ始める。板半分うまく行っていたのに、残り半分がねじりん棒だらけになってにっちもさっちも行かなくなる。
やっぱり先輩たちはものすごい。板一枚などではない、10枚、20枚、いとも簡単に引上げている。
自分の人生でそんなわざが身につくのだろうか、などと弱気になる。
切立湯呑だけを作るわけではないのだから妙なこだわりは邪魔になる。分っちゃいるけど口惜しいのである。
どうもロクロのワザだけでなく、人生修養も足りないこと歴然である。
還暦からはじめたやきものの道である。作ったものを見て、ああ歳を重ねているだけの味がありますね、などと技術不足を慰められるのだけは嫌である。やることはきっちりやりたい。その上でゆらぎへうげへとカブキたいのだ。無謀な願望なのかも知れない。でも、何でもやってみなければ分らないではないか。やれるところまではやってみたい。




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