たどりつけない場所

昔、バイクで行った場所をときおり思い出す。薄暮の田園風景が鮮明に残っている。何県なのか、泊まった宿はどこだったのか、まったく記憶にない。
だが、もしかするとこの景色はいくつかの場所が記憶の中で混成されて作り出されたものかも知れない。最近、そう思うようになった。
共通の主題はノスタルジア、もう二度と辿りつけない場所。
いや、場所がはっきりしていても辿りつけないこともある。
やはりバイクツーリングで山形県を走っていたとき、地図通りに走ったつもりがまったく違う道に迷い込んでいた。以前、その道を探して走ったことがある。迷い込むところまでは辿れたがその先、皆目見当がつかなかった。おそらく新しい道路ができたのだろう。
しかし、過去に向って懐かしさを求めて走って、一体何が得られるというのか。
ああ、ここだったな、あの時ここでこんなことをしたな、とセンチメンタルジャーニーを味わえたとしても、却ってそのことが、皮肉なことに、辿りつけなかった幾多の場所を焦げ付くような憧憬で飾ることになるだけではないのか。
そんな焦燥のなかできっと思い知るに違いない、時間というものはそういうものなのだ、と。仮令同じ場所に立つことが出来たとしても、同じ時間に立つことは出来ないのだ。
だから記憶の中の辿りつけない場所は若かりし自分の時の燻製としてこころの縁側に吊下げておくのが一番なのだ。




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