ありふれた奇跡〜禁断のデウス・エクス・マキナ?

不満を感じながらも、気になるので見つづけている山田太一の連続TVドラマ「ありふれた奇跡」だが、昨日でもう十回目だ。どんな展開になるのだろうと思ったら、最後に大きな動きがあった。
赤ちゃんを抱いた若い母親が突然現れた。若気の至りで子供を産めないからだになってしまった加奈にトイレに行く間5分だけ赤ちゃんを預かって欲しいと言う。翔太は不安そうだ。もちろん、観ている側も、これは捨てる気だなと気付く。
しかし、加奈と若い母親は何の関係もない。不意に現れた存在に私は違和感を覚えた。これはデウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)ではないのか?アリストテレスでなくても、ドラマはドラマ内部の必然性によって有機的に構成して欲しいと思う。これまでの流れが主人公たちとその周囲の人たちの内面を丁寧に拾っていただけに唐突の感がある。
もちろん、現代の連続ドラマはデウス・エクス・マキナに満ちている。「ありふれた奇跡」だけを何故責めると言われてしまいそうだが、山田太一を高く評価して来たのだけに残念なのである。
NHK朝の連続ドラマ「藍より青く」が見始めだったが、その時は山田太一の存在に気付かなかった。
男たちの旅路」の硬骨、「岸辺のアルバム」の家族愛にはっとさせられてからこの脚本家を追いかけ始めた。
「想い出づくり」「早春スケッチブック」「ふぞろいの林檎たち」シリーズ、「真夜中の匂い」「時にはいっしょに」などの80年代の作品が一番記憶に生々しい。
TVで観たのもあれば、シナリオや小説で読んだり、映画化されたのを観たのもある。連続ものもあれば、単発ものもある。もちろんすべてが傑作という訳ではない。だが、どれにも山田太一特有の世界があった。
ありふれた奇跡」はどんな風に終るのだろう?見終った後、極端に短い台詞の連射といった作劇術にではなく、作品世界の共同体感覚に、ああ、やっぱり山田太一だな、と感じさせて欲しいと願う。
番組の掲示板をちらっと見たら、讃辞のオンパレードだった。こんな不満を感じている人間はあまりいないのかも知れない。
そういえば前回このドラマについて書いたとき「ご託宣並べてみたい」だけなのではないか、という投げ遣りな批判があった。きっと素晴らしいと思っているドラマにケチを付けられてキレたのだろう。でも、ブログというのはすべて「ご託宣」ではないのか。私は私なりに筋道を立てて「ご託宣」を並べている。それに反論するのなら自分の「ご託宣」を並べるのがフェアな議論ではないのか、と思うのだが・・・。




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