知的生活

エディンバラ大学院に留学して演劇を学んでいた若い友人が論文を提出して日本に帰ってきた。
一年と数ヶ月の留学生活はかなりきびしいものだったようだ。矢文の往復でそれがうかがえた。
学問は究めればそれだけ不足を感じるものだ。芸術も同じかな。
 
私も院生の時分、演劇研究の方向性について深く悩んでいたが、ふとした縁から禅寺で8か月修行し、その後、ハイデガー現象学存在論との出会いがあり、そのおかげで、それから約30年、舞台と教育研究生活を維持できた。

芝居と禅とハイデガーが一つながりになっていた。

陶芸の路に入り、しばらく遠ざかっていたが、友人の求めで読書会を始めることになった。ゆうべは記念すべき第一回であった。取り上げたのはハイデガーの『形而上学とは何か』。

話は例によって横断的逸脱の限りをつくし、『正法眼蔵』「渓声山色」や「諸法実相」の一部を朗読したり、長次郎や光悦を引き合いに出したり、舞台の話になったり、西田幾多郎に飛んだりした。

貪欲に吸収しようと身構えている意欲ある若者に接するのは気持いいものだ。

だが、しゃべりつづけること数時間、頭が酸欠になってくらくらしてしまった。今までほとんどしゃべらない生活から一転したのでからだがびっくりしていることだろう。喝!である。




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