引越前夜

何ごとにも終りがある。私の放浪もこれで留めになるのだろう。たぶん。
2年前、やきもの修業をした瀬戸を離れる前夜、暮した町の周辺を歩き回った。2年弱の生活が10年以上にも思え、感無量だった。もうそう何度も訪れることはないであろう町並みがある種の感傷で私に迫ってきたからだった。
その時は、離れる哀しみとは別個に、新しい暮しへの期待感が微かではあったが心の奥底で沸沸と音を立てていたように思う。
今、2年前には思いも寄らなかった工房が手に入った。それなのに喜びの実感はない。むしろ不安の方が大きい、というのが正直な感想だ。
人間はやっかいな存在だ。
工房探しは瀬戸にいた時から始まっていた。愛知、岐阜、長野の中古物件を不動産屋で見つけては案内してもらった。途中、群馬の奥地?に2週間ほど泊まり込みあちこち走り回って土地や中古物件探しもした。結局は郷愁がまさったのだろうか、群馬に帰ってきた。それからはせっせと不動産屋めぐりをした。
瀬戸時代から数えると合計100件近く廻ったろうか。出会いはなかった。
それが、運命のいたづらのようにひょんなことから新里町が公売に出したものの買い手が見つからず店ざらしになっていた土地を知り、すぐに購入を決めた。決まるときはそんなものなのだろう。
それからは建物を建てる算段の日々だった。いろいろ差し支えがあるので詳しくは書かないが、すったもんだの末ようやく明日一応の完成(もちろん、住宅としては未完成である)を見る。
感慨はない。
むしろ早く整理整頓してやきもの生活を軌道に乗せなければ、という気持の方が強い。引越はホンの一里塚にすぎない。長い旅が控えている。


猿を聞人捨子に秋の風いかに(芭蕉野ざらし紀行」)
ふと思い浮かぶのはこんな句である。



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