芝居の稽古

金土日は芝居の稽古日だ。金は夜、土日は終日。芝居は時間のかかる遊び(play)である。最初にすることは、台本ができてからまだ台本の中に張り付いたままのことばを少しづつ役者のからだに入れて行くことだ。台詞の暗記が終るころにはすっかり台本から生身のからだへの引越も終る。
今はその途中だが、時折さっと舞台の風が吹く。そのきっかけは役者が個人の稽古で発するこの調子であったり、役者の仕種であったり、全員の声のハーモニーであったり……。
台詞の覚え方も役者によって違う。自分の部屋で本を手に覚えるもの、稽古場で台詞に合わせてからだを動かしながら覚えるもの、何度も声に出すことで覚えるもの、まちまちだ。
いま私はそれを見たり聞いたりしているだけだ。肩書きは演出だが、稽古場の眠り人といったところか。場面稽古の段階に移ってもあまり変らないかも知れない。やきものと同じで絵コンテどおり寸分違わず……などという芸当は夢のまた夢である。というより、そういうプラトン流の「イデアの再現前」は好きではない。だから映画監督には絶対になれないし、なろうとも思わない。その場の偶発が、いつも、勝負である。
問題はそんな偶発を見逃さない感性だ。だからいつも感性を磨いていないといたずらに時間を費やすことになる。感性は脱力と緊張の微妙なゆれのはざまに息づく。心配なのは久しぶりの演出なので勘が鈍りぼんやり脱力だけで芝居の本番になってしまいはしないか、ということだ。そして、おきまりの「ええ、このできそのねえめが」ということにならないことを祈る。




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