持つべきものは道友

炎兄からやさしくきびしい喝をいただき、新たな気持で柿の蔕茶碗に取組む。
こうしてみると昨日の出来は大甘で、すべて廃棄してよかった。
樋口は作られたものと思っていたが大間違いであった。作りの基本に従っていると必然に出来るものなのだ。高麗の陶工たちがあばれる土と格闘し、土を殺す術の中で生まれるべくして樋口が生まれたのだろう。
すばらしいのはそれを美として受入れた感性だ。樋口や切り回しを取り去ることは簡単である。皮を当てればものの1秒でつるりんぱ、ときれいな口になる。そうしなかった感性に敬意を表したい。



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