高められた日常

先日、昼の再放送で「旅行作家・茶屋次郎〜渡良瀬川殺人事件」をやっていたので録画しておいた。
今見ているのだが、どうも集中できない。
水沼温泉駅、草木ダム、サンレーク草木、ながめ余興場、高津戸峡……
みな山房からすぐにでも行ける馴染みの場所だ。そのせいなのだろうか何だかドラマを楽しめない。


だいたい虚構は現実ではないから面白いのだ。と言って、浅見光彦のように家柄とか怨念とか、現実ばなれしていてもダメだ。現実のようでいて現実そのものではないことが、いいドラマの条件だ。
アン・バートンはそれを高められた現実 heightened reality と呼んだ。


だから高津戸峡だって高められた舞台に上がれば楽しめるはずなのだ。

これが映画だったらどうだろう、と考える。量産の2時間ドラマに映画のフレームを臨むのが間違いであるのは十分承知している。だが、結局はそういうことなのだろう。

カメラが切り取る空間が、私たちの知っている生活感あふれる現実ではなく、現実でありながら何故か光輝をたたえた世界、初めて見る不思議な光景、に生まれかわるのが芸術としての映画であり、それが果たせないのが自転車操業のドラマなのだろう。

さしもの橋爪さんも私の中では大間々の生活感に負けてしまっている。(もっとも橋爪さんの演戯のせいではないけれど……)