縁
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昭和レトロの結晶、群馬会館
いつ以来だろう、ここに入ったのは?
縁は異なもの味なもの。まさにその通りである。縁あって出会ったひとたち、縁あっていっしょに芝居をしている仲間たち、縁あって陶芸の訓練校で同期となった仲間たち……
縁は縁を産み、縁が縁につながり、縁の輪が広がってゆく。出会いは出会いを生む。芝居仲間一人ひとりの向う側には何人もの縁つながりがいる。訓練校なぞは何度その縁の強さを日本各地でつくづく感じたことか。
人間もとはひとりである。無数の縁が織りなす模様によってただのひとが、人と人の間=《人・間》となる。
私は個性というものを信じない。個性とは要するに個であること、孤立していること、縁をもたないことである。私がこんな風な台本が書きたい、こんな風な柿の蔕茶碗を作りたい、と思うのは私という個が思うのではなく、私を成り立たせている縁のネットワークがそう欲しているのだ。
もちろん、私というささやかな個もその網につながっている。だから自分の手でものが書け、ものが作れる。だが、出来上がったものは私の作品ではない。善し悪しは別にしてすでに大いなる雲海である。