掃き出し
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粘土の削りカスを水簸する
久しぶりの仕事だ
先日、芝居の稽古で公民館の和室を使ったときのこと、前に使用した団体がどういうわけか小さな砂利を所々に落していってくれた。裸足で踏むと痛い。
そこで箒で掃いたのだが、畳から縁側へ掃き出し、そのまま庭へと砂利を掃き出した。
すると踊りのお師匠さんが、それは不祝儀のときにすることで普段するのはよくない、と言う。
うっかりしていた。工房のコンクリート床を掃除するときも庭へ掃き出していたから、その延長のように考えていた。しかし、私たち日本人は畳と地面のあいだに境界を設けている。外から家にあがるときには履き物を脱ぐ。当り前のようにしているが西洋ではまずない。この境界は侵すべからざる力を持っている。だから、履き物を家で履き、そのまま下に下りるのは縁起が悪いといわれている。これも不祝儀の時にだけ許される作法である。
ほこりや小石と言えど、一段高い生活の床面から地面へと掃き出すのはそういう忌みの作法に触れるのだ。
この境界(あるいは、閾(しきみ))は私たちの生活のいたる所に生きている。役者は稽古で畳の一画を舞台として設定すると、お昼やお茶のとき、そこを外して休憩する。それも生きている閾だ。
そういう時、日本人に生まれてよかったと思う。