天と地と
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冠雪の赤城
神々しい生き物のようだ
今日は昨日抜いた歯の後を消毒しに歯科医院へ。
天と地と、と書いたのは、病院の玄関に入るときの気分の差だ。
昨日はもう世も終りだという悲壮な気分。ひるがえって今日は鼻歌でも歌わんかなという気分。まったく現金なものである。でも、これが人間なのだ。だから、悲喜こもごもの充実がある。
しかし、抜歯で思い出すのは、手の力だ。
といって、歯を抜くときの手の力ではない。
10年前、昨日抜いた歯の治療をしている時だった。歯根が化膿し、その部分を掻爬するハメになったのだが、化膿しているため麻酔がほとんど効かなかった。断末魔の苦しみである。その時、救いだったのが衛生士が私の肩を軽く赤ん坊をあやすかのように叩きつづけてくれたことだった。
今通っている歯科医院の先生も冗談まじりにポンとひざを叩いたりしてくれるのだが、そういうスキンシップは実はことばでは言いあらわせないほど大きな魔法となるのだ。する側はあまり感じていないのかも知れないが、受け取る側は大きな安心を得る。
現代の医学はそういうところも教えているのだろうか。あるいは医師の人柄なのだろうか。
時には、どこぞの大病院でのように、その逆の目に遭い、モルモット扱いされることもあるので、クワバラクワバラである。
ゆうべ寝るまでは抜歯後の鈍痛があったが、一晩寝て痛みも取れ、消毒をしてしばらくは臼歯一本なしの生活だ。舌で触るとするっと向う側へ滑ってしまうので面白い感じだ。
茶碗は柿の蔕の出来そこないである。まあ、出来そこないからヒントをたくさんもらえるからありがたい出来そこないなのだが。